応えたのはコンピュータのAI…ではない。彼は元々人間だった。極度の人間嫌いで、元々の電脳好きも高じて自分の全てを電脳へ移してしまったのである。つまり元は人間。現在はこの世界中に広がる電脳空間の主。ネットの中で泳ぐ情報を即座に認識出来る電脳人間だ。
ずっとネットの中に居るかと言えば実はそうでもない。どうしても動かなければならないような場所には端末を送る。端末というのは人型のアンドロイドのようなもので、疑似人間とでも言おうか、ウィズが開発した電脳人間用の擬態ボディだ。人型のそれに様々なソフトをダウンロードすることも出来、ソフト如何で処理能力が変わったりもする。そんな端末を彼は、世界各地の至る所へ隠してある。その為、瞬時に世界中へ移動する事も可能だ。
まあ好んで移動したりしようとはしないようだが。やむにやまれず、というときだけのようだ。よほど電脳空間は彼に取って居心地が良いらしい。
そんな彼も、まだ電脳人間になる前はただの人間だった。最もその頃から彼はネットの世界では有名だったが。

ウィズ・ソーサラーと聞いてその名を知らない者はモグリだ。3年前世界を恐慌させたコンピュータウィルス、「エンドレス」。それは一通のメールからコンピュータを浸食し全てのデータを徹底的に、壊滅的に破壊する厄介なウィルスだった。それが国のマザーコンピュータまで浸食しかけた時、そのウィルスを駆除する攻性ワクチンが発動した。そのワクチンによりウィルスは完全に駆除され、またそのウィルスを開発しネットへ流したクラッカーをも検索してこれを逮捕させるに至らせたのだ。
そして、そのワクチンを作った者こそ、「ネットの魔法使い」と呼ばれたウィズだったのである。
──これでデータは全てだ。
機械音の声。カシュ、とデータの入ったマイクロチップが黒いHDから排出されると、零韻はそれを指で挟んで軽く降った。
「Thanks」
その頃同じビルにある病院では、零韻に良く似ているが幾分雰囲気の柔らかで華奢な少女のベッドの脇で、アレックスはいつも通りの微笑みを浮かべて椅子に座っていた。
「もうアレクったら。そんなたいしたことは無いんだから、毎日お見舞いに来なくても良いのに」
困った様に言う言葉にも何処か媚が含まれている。それは恋人に対する甘えに相違ないだろう。その言葉が真実であることを裏付けるものは、病室中に飾られた花だ。毎日、毎日。必ず一度はアレックスが顔を見せに来るから、部屋はちょっとした花屋みたいになってしまっている。
「だって今丁度誰も部屋にいないんでござんすよぅ、ちょっとくらいいいじゃござんせんか」
ねえ、なんて声をかけながら、アレックスは頭ひとつ分小さな愛しい彼女にすりすりと頬擦りする。そうすると、困った様にまた彼女が笑うのだ。

彼女の名前は、霧崎倭卦(きりさきわか)。そう、零韻の双子の妹である。妹、と言ったが、零韻同様天(デーヴァ)である為性別は自由。ただ恋人が男だったから、今は性別が女性で固定している。
彼女は零韻を取り敢えず便宜上、「兄」と呼ぶ。性別が無いからとは言え、零韻は双子の片割れであり、また周囲も三人称の場合どう呼ぶかを悩んでしまうので、敢えて、そこでは「兄」、また「彼」と便宜上の三人称がつけられた。
話を戻そう。
つまり倭卦もまた零韻と同じ種族であった。零韻と同じ赤い瞳、七色に輝く白銀の髪の毛を持つ。その神に等しい種族の彼らは不老不死のはずだ。それがどうしてこんな病室に閉じこめられているのか。
「ほら、もう…点滴がとれちゃうでしょー?」
倭卦の笑い声にアレックスの蕩けたような声が絡む。倭卦の躯は病院に居るというのに、薬の臭いよりも花のような優しい甘さの臭いがしていた。これは、天の種族特有のもので、個々で香りが変わるらしい。
「んー、倭卦さん良い匂いがするざますー」
大の男が恥ずかし気も無く自分よりも華奢で小さな少女にしがみついて擦り寄る。何を甘えているのやら、と思うものだが、倭卦はそれを笑顔で抱きとめている。
彼女にとって彼はとても愛しい人の一人だった。倭卦という人は、誰にでも分け隔てなくその愛情を惜しむ事無く分け与えられる、そういう人だった。
だから、アレックスは彼女を守ろうと思っている。たった一人になったって(あの零韻が居る限り、彼女は一人にはならないだろうけれど)彼女の為ならずっと味方でいると自分に誓っている。
「倭卦さん、今日のお加減は如何でござんすか?」
「大丈夫だってば。兄さんもアレクも心配しすぎなのよ」
ぷくりと頬を膨らませて、倭卦は文句を言う。そんな様子が可愛いのか、アレックスは微笑んで倭卦の頭を撫でた。
「そうおっしゃらないでおくんなさい。倭卦さんがまた倒れたら、零韻さんだって心配なさるんでござんすよ?」
「……解ってるけどぉ…ただの貧血だもん、疲労だもん。もう平気だもん…」
まるで子供のような彼女。アレックスはいつも下がったままの繭の下の目を益々細めて、ぺろりと舌を出した。
「駄々を捏ねないでおくんなさいよ、倭卦さん。アタシが怒られちまう」
ぽむぽむと撫でる手は、男にしてはとても白くて、だけどしっかり骨張った、ちゃんと男の手をしていて、大きな掌に頭を撫でられれば、倭卦はふしゅー、と頬から空気を抜いてしまう。
「んもう。しょうがないな、アレックスは」
まるで悪戯な弟をたしなめるように言うが、その実、優しく諭されているのは倭卦の方だ。本当は倭卦にも薄々気づいている。自分の病の原因を。そして、そのせいで兄を始め、皆が働いていることを。
「…ごめんね」
小さな、小さな声。アレックスは聴覚が良い。だが、それは聞かない振りをした。
「何かおっしゃいましたかい、倭卦さん?」
「ううん」
倭卦は顔を上げると、笑顔でアレックスを見上げた。その笑顔があんまり花の様に綺麗だから、アレックスの胸がずきりと痛む。
「ねえ、また明日も来てくれる?」
「ええ、勿論ザマス」
アレックスが毎日来たがるのは事実だ。だが、本当は知っていた。誰よりも寂しがりな彼女。本当は一人でこんな部屋に居たく無いのだって事。
【Hide More】